薄暗い部屋で初めて目にした古い銅製の花瓶。光の角度で浮かび上がる青緑色の薄い膜。それは時間だけが創り出せる色彩です。
皆さんは緑青といえばどんなイメージがありますか?
指先でそっと触れたとき、100年前の誰かも同じように見惚れていたのだろうかと思いを馳せます。
緑青は古いものの年月を経たからこそ得られる特別な魅力のひとつであり、緑青が持つ自然の美しさは、絵の具で表現することはできません。
CUUCCAがお届けしているのは、そんな時間が育んだ美しい「ズレ」や「余白」、「個性」のある物語です。
今回の記事では、そんな緑青の美しさと毒性についてご紹介します。
緑青(ろくしょう)って?

緑青は、銅が酸化することで金属の表面に時間と共に自然に作られる緑色の薄いサビのことです。
ニューヨークの自由の女神像や鎌倉の大仏、あるいは古都の寺院の屋根。風雨にさらされ、静かに色を変える銅の表面には、言葉では表現しきれない美しさがあります。身近なところでは、十円玉に付着していることも。
緑青は、金属の表面をおおい空気を遮断する役目があります。一般的な赤サビなどのように金属内部には浸食しないため、緑青におおわれた部分は、それ以上腐食が進むことはありません。
その結果、全体を緑青におおわれている自由の女神や鎌倉の大仏は長い時間を経ても腐食が進むことはなく、長期間にわたって形状が保たれているのです。
緑青は身体の毒になる?

緑青は、銅や青銅に見られる自然な腐食生成物であり、長い間身体に害があると信じられてきました。ですが、最新の研究や厚生労働省の見解によると、緑青は「普通物」とされ、毒性はないことが確認されています。
むしろ銅そのものが持つ抗菌性や殺菌性は、近年見直されつつあります。時代の認識とともに変わるもの、変わらないもの。物事を一面だけで判断せず、多角的に見ることの大切さを、この小さな青緑色のサビは私たちに教えてくれるようです。
緑青の美しさと価値
アンティークのブローチや指輪などに宿る緑青は、その持ち主の生活の軌跡を静かに映し出しています。きっと特別な日だけではなく、日常のささやかな喜びの中で身につけられてきたのでしょう。
美術館においても、緑青の有無や状態は作品の真贋や価値を決める重要な要素となります。
完璧に保存された状態より、時間の流れを感じさせる緑青の風合いに価値を見出す視点。それは現代の「新しいものこそ良い」という価値観への静かな抵抗ともいえるかもしれません。
緑青のクリーニングと保存

緑青のクリーニングは、慎重に行う必要があります。過度なクリーニングは歴史的価値や美観を損ねる可能性があります。柔らかい布や綿棒などのブラシを使用し、化学薬品は避けるようにしましょう。
過度なクリーニングは歴史の一部を消し去ることになります。しかし、肌に直接触れる部分は、安心して使用いただけるよう配慮が必要です。
CUUCCAでは、アイテムごとに丁寧に緑青の状態を確認し、肌に触れる部分は専用器具で取り除きながらも、全体の美しさと歴史性のバランスを大切にしています。「この緑青はもう少し取り除いてほしい」というご要望にも、可能な限りお応えしています。
存在するものをただ綺麗にするのではなく、その歴史と美しさを尊重する姿勢を大切にしています。
豆知識 : 美術館での緑青の取り扱い
実際に、美術館では緑青をどう扱っているのでしょうか。
保存環境の管理
美術館では、緑青を保護するために厳密な環境管理が行われます。例えば、温度や湿度の調整、定期的な状態チェックなどが行われます。
管理方法

博物館の収蔵庫に一歩足を踏み入れると、そこには静謐な空気が流れています。
温度は通常18〜20℃に保たれ、昼夜の変動は2℃以内に抑えられています。湿度は40〜55%の範囲で管理され、この一見窮屈とも思える狭い範囲こそが、緑青の安定を守る大切な条件なのです。
大英博物館の収蔵庫では、湿度センサーが24時間体制で数値を監視し、わずか5%の変動があれば担当学芸員に通知が入るというほどの徹底ぶり。こうした細やかな配慮が、何百年という時を超えて銅製品を保存する秘訣なのです。
また、光による影響も見逃せません。特に紫外線は緑青の化学組成を変化させる可能性があるため、美術館の照明は50ルクス程度の柔らかな光量に設定されることが多いのです。照明の方向も直射を避け、反射光を用いることで、静かに佇む銅製品を優しく照らし出します。
保存と展示

ルーヴル美術館の古代ギリシャ・エトルリア部門。そこに展示されている青銅の小像は、ガラスケースに収められています。しかし、そのケースは単なる容器ではありません。
内部には調湿剤が隠されており、外気の影響を受けずに最適な環境を維持しています。ガラスには紫外線カットフィルムが施され、展示室内の照明は時間制限付きで点灯するよう設計されています。
興味深いのは、同じ展示室内でも、緑青の状態によって異なる保存方法が採用されている点です。「活性緑青」と呼ばれる進行中の腐食がある作品は、より低い湿度環境で保管され、定期的に保存修復専門家による検査が行われます。
一方、安定した「貴緑青」を持つ作品は、その美しい青緑色を活かした展示方法が選ばれ、照明のアングルや背景色までもが緑青の色合いを引き立てるよう計算されているのです。
修復哲学
東京国立博物館の修復工房で働く職人は、こう語ります。「私たちは歴史の一部を消してはならない。緑青は時間が作り出した芸術なのです」
美術館の修復哲学は、まさに「引き算」の美学に基づいています。仮に緑青を除去する場合でも、「最小限の介入」を原則とし、化学薬品より物理的手法(軟質の竹や木製の道具で優しく擦るなど)が優先されます。
さらに興味深いのは修復前の詳細な記録と分析です。顕微鏡写真や分光分析で緑青の種類を特定し、「塩基性炭酸銅」なのか「塩化銅」なのかを見極めます。この科学的分析によって、その緑青が安定したものか、進行性のものかが判断され、施すべき処置が決定されるのです。
京都国立博物館では、江戸時代の銅製香炉の修復に際し、緑青の一部を残すという判断がなされました。修復記録には「本体下部の緑青は後世の使用痕跡を示す貴重な証拠であるため保存」と記されています。
こうした判断の背景には、「物質としての保存」と「情報としての保存」という二つの視点があります。物理的な状態を保つことと、その物が持つ歴史的情報を残すこと—その両方のバランスを取ることが、現代の修復哲学の大切なポイントです。
修復アプローチの違い
フランス・ルーヴル美術館とイタリア・ウフィツィ美術館では、同じ時代の青銅製品に対する修復アプローチが異なります。ルーヴルでは緑青を「歴史の証人」として残す傾向が強いのに対し、ウフィツィでは「本来の姿を取り戻す」という観点から、より積極的に緑青を除去する方針を取っています。
こうした違いは単なる技術的判断ではなく、各国の美術観や歴史観、さらには「時間」という概念に対する文化的理解の違いを反映しているのでしょう。
私たちが日々扱うアンティークやヴィンテージのアイテムにも、同じ哲学が当てはまります。経年変化は「汚れ」や「痛み」ではなく「時間の層」であり、その層を通して過去の持ち主の生活や思い、歴史的な背景に触れることができるのです。
緑青を前に、修復家たちが立ち止まり考えること—それは「この物語をどう繋いでいくか」という問いかけなのかもしれません。完璧な状態に戻すことが必ずしも正解ではなく、むしろ時間の痕跡を尊重することが、真の保存となることもあるのです。